今回は「医者と患者の対立とその原因・対策」ということで記事を書いていきます。(医療過誤や医療訴訟)
「医学生の解釈」の意義~医学部生は医者と患者両社の目を持つ
まず、僕が、「医者と患者の対立とその原因・対策」なんて内容を偉そうに書ける(各権利がある)理由から言い訳させてもらいましょう。(以下の文章に説得力を持たせるため。)
このブログ、「医学生の解釈」の目的は、「お医者さんと患者さんの懸け橋になること」です。(医療の世界を覗いた非医療人によるブログであります。)
医学生は医者ではありません。医療行為もできません。だから、病院に行けば、立場としては、患者さんとほとんど同じ立場になります。医学部に入る前の、「患者さん側の視点」を持っています。
その一方で、「将来医師になる者」として、勉強し、医師の大変さの理解も進めています。(おそらく医師の大変さは想像以上のものでもありましょうが、その大変さを垣間見てはいます。)
お互いの立場を理解しているのが、「医学生」という存在だと感じています。確かに、医学部は6年生であり学年によって違いはあります。1年生ほど患者さんの立場に立ちやすく、6年生ほど医者側の立場に立ちやすい、という違いこそあれ、「医者と患者」という両者の間に立ちやすい、お互いの立場を理解しやすいポジションであります。
そんなわけで、「両者の対立」なんて見ているとお互いのいうことが分かるなあとなるわけです。では、本題に入っていきましょう。
医師と患者の医療知識・経験の格差
対立が起きる原因は端的にいえば「医師と患者の認識の違い」です。
「私、医学調べました」の功罪
最近は大抵の人がインターネットを利用しています。たいていの人は、自分が病気になったら、たくさんのことを調べます。
- この病気は何が原因なんだろう?
- 病名は何だろう?
- どうやったら楽になるだろう?
- どうやったら治るだろう?(自分で治せるだろう?・わざわざ病院行きたくもないし、自分で治せるなら治したい)
しかし、インターネット上に上がっている情報は玉石混交です。
例えば、「インフルエンザに似た症状を起こす病気として、Q熱があります。」という文章が、ネット上にあります。インフルエンザにかかった人は、薬を飲んで症状がよくならないとき、「あれ、これ本当にインフルエンザ?」と疑うこともあるわけです。そんな時に、この文章を見ると「もしかして、私、Q熱かも。」と考える人もいます。病気でつらい思いをしているときは、ありとあらゆる可能性を考えたくなるものです。様々な病気を疑いたくなる患者さんの気持ちはよくわかります。(僕は実際、自分が病気になったら、ありとあらゆる可能性を自分で勝手に考えますし。不安ですから。)
しかし、実際、Q熱は、国内でも、年間数例しか見られず、かなり珍しい病気です。医者側としては、「私、Q熱ではないですか?」と患者さんに言われても、「まさか、そんな珍しい病気なわけ・・・・・」と思います。時間がある医師であれば、一人ひとりに丁寧に対応できますが、大忙しの医師からすると、「ほぼほぼインフルエンザなんだし、家で寝てればいいのに・・・」とか考える人もいたり。
「絶対、私、Q熱だと思います。先生はこの病気に詳しくないかもしれないので、理由を説明します。」とか言われると、医師にも不満がたまります。
- 「ネット上の情報聞きかじって、勝手に診断するのかー」
- 「医者を職業にして、何人もの患者さんを前にしてきた私に対して、医学の説教をしてくるのか・・・・」
医師はこのような感情を表に出してはいけません。医師は、患者さんに向き合うプロでなくてはなりませんから、どんなことがあろうと、向き合い続けます。そのため、「目に見える」「患者と医者の対立」はありません。ただ、医師側としては「ああ、患者さんに丁寧に説明するの大変だなあ」とストレスが溜まってしまいます。
誤った医療情報も多い
- 風邪にはビタミンC
- 風邪には抗生物質
のような誤った医療情報も数多く見受けられます。そのような誤った医療情報を持つ人(特に、「刷り込まれた人」に対して、医師は、必ずしも丁寧な説明ができません。世の中には誤った医療知識がごまんとあるのです。
よくある認識の違い~新生児の死亡率
よくある認識の違いは「子供はほぼ確実に安全に生まれる」という認識です。新生児の死亡率は日本は世界で一番低いです。ですが、世界で一番低くても、1000人に1人の割合で、新生児は死亡します。
ただ、家族としては、「病院で、産婦人科で産んでいるのに、どうして赤ちゃんが死ぬのか」と思ってしまうわけです。家族としては待望の赤ちゃんですから、なくなってしまったときの悲しみは大きいでしょう。医師を攻撃したくなります。
しかし、医師としても、一生懸命がんばり、様々な面で手を尽くしています。頑張って、自分としても新生児が亡くなれば悲しいのに、その後に訴えられでもしたら、大変です。(そして、現状として、仕事の大変さや訴訟の多さなどから産婦人科医は減ってしまっています。)
僕の経験した認識の違い
自分も昔そうでした。疲労骨折をしたときのことです。ある医師が、疲労骨折を疲労骨折と見抜けませんでした。(しばらくして別の病院で分かった。)「あの医者、疲労骨折も見抜けねえのかよ。」
ただ、疲労骨折は発症直後、レントゲンのみでは見抜けません。それ以上の検査をしようとすると、開業医一人では難しかったりします。医師としては頑張っていても、見抜けません。しまいには患者さんには批判されます。(直接、文句を言われることもあります。)
ですが、これは、医師が悪いところもあります。万が一、疲労骨折の可能性があるのであれば、「疲労骨折の可能性もありますが、すぐには判断できません。他の病院への紹介状も書きますか?」と言えればよかったでしょう。(僕はこの時の医師が若かったため能力不足で疲労骨折の可能性を考えてなかったと感じていますが。)
医師は、神ではありません。間違えます。失敗もします。ただ、患者としては、医師は「何でも治せる存在」であってほしいのです。その願望から医師へ、その願いをぶつけてしまうのでしょう。
患者の話を聞かない医者~問題は可視化される
以上のように、「医療者側」と「患者側」には、圧倒的な医療情報ノック差があります。この格差を埋めるべく、努力を重ねるのも医師の仕事ではありますが、医師は必ずしもすべてが聖人ではありません。また、医者はたいてい忙しいので、「患者の意見を無視しがち」になります。もしくは、「患者の意見を、雰囲気で殺してしまう。」「言いたいことが言いにくい空気を作ってしまう。」
自分も子供の時は、言いたいことを、「まちのお医者さん」に訴えまくっていましたが、大きくなると、「節操」「遠慮」なるものを持ち、言いたいことを我慢しがちなことが多いです。ここで、患者側にもストレスになります。
圧倒的に医師への信頼があれば問題ありませんが、損のような信頼関係構築には時間がかかるのも現実です。
「医師は人」という認識の違い
最終的な結論としては、「医師は人である」という認識の違いが、医療における対立を生んでいるのでしょう。病気になれば、人は誰しも医療を頼らざるを得ません。そんなときに助けてくれる医療関係者は、まさしくありがたい存在でしょう。
そのため、医師に期待します。(僕も自分の怪我を早く治せと医師に期待しました。)ただ、医師はただの人であり、医療知識を除けばただの人です。どうしても治せない病気もあります。不測の事態に対応できないときもあります。ただ、患者からしたら、自分たちの命に関わることですから、是が非でも治せといいたくなります。
医師がただしく、リスクや起こりうる最悪の状況を毎回説明できれば良いのですが、全ての人に懇切丁寧にもできないのではないかとも思います。
難しいですね。